まあでも気持ちはわかる。
仙霊茶は宇治茶や静岡茶と同じチャノキから作られるお茶です。
ここ神河町で作られているお茶の名前、
「仙霊茶」は、およそ三百年前に名付けられました。
神崎粟賀(現神河町粟賀)の「生蓮寺」と言うお寺の六代目・定空上人が
「この地はお茶栽培にむている!」と周りの農民にお茶の栽培を奨励したのが
享保元年。1716年。
少し時間が経って享保十年・1725年に、
京都・宝鏡寺22世門跡の本覚院宮から、「仙霊」と書いた真筆(多分掛け軸)を賜った・・・という事だそうです。
ちょと文章が硬いので、砕いて書くと
暴れん坊将軍の時代に、神河のお寺の住職に「ここお茶向いとるで。作りーや」と言われて一生懸命作ってたら、京都のすごい格式高い尼寺の、すごい字が上手い住職から「仙霊」って書いた掛け軸もらったで。という話。
ちなみに宝鏡寺がどのくらい格式高いかというと、その本覚院宮って方はお父さんが後西天皇。・・・天皇?!
そんな格式高い方から賜った名前が「仙霊」。
他のブランド茶ってほとんど地名。宇治茶とか狭山茶とか川根茶とか知覧茶とか。
なのに仙霊。神河町で仙霊。ちょっと人里離れようとしすぎてないか。
あわいれてないんじゃないか。
でも昔の偉い人がつけたんだから無意味な文字列ではないんでしょう。
と調べてみた。ら、こんなのが出てきた。
唐の時代、(とと唐!いきなり1000年以上前!)の詩人、
廬仝(ろどう・795?~835年)が書いた詩に
一椀喉吻潤 両椀破孤悶
(一杯目のお茶で、喉や唇の渇きが潤い、二杯目で孤独が消える)
三椀捜枯腸 唯有文字五千巻
(三杯目で腸に染み渡り、そこには学んだ知識があるだけ)
四椀発軽汗 平生不平事尽向毛孔散
(四杯目で軽く汗をかき、ふだんの不平が毛穴から発散していく)
五椀肌骨清
(五杯目で皮膚から骨まで清らかになる)
六椀通仙霊
(六杯目で仙人のようになる)
七椀喫不得也 唯覚両腋習習清風生
(七杯目はもう飲む必要がないくらいで、両脇に清らかな風が生まれる)
ここから来てるにではないかと。
こんな立派な名前つけられるほどなんやから余程当時から美味しかったのでは。。
そんな、1000年オーバーな名前を持つ仙霊茶なんです。